退職した理由
働き方を変えたい
2020年4月10日、コロナ蔓延による緊急事態宣言と”たまたま”同時に、わたしは第1子の産休、夫は在宅勤務生活が始まった。
はじめての子育てで、毎日夫が家に居るだけでとても心強かった。
子どもといる時間が一緒だから、わたしの経験値が、夫にもあり、同じレベルで気づきや、悩みを相談できた。
”こんな働き方があるんだ。わたしもやりたい”
今振り返っても、”一緒に育てた”という実感がある。
その思いから4年、退職しました。
退職までの流れ
・第1子生後10ヶ月で
保育園に入園
・慣らし保育が始まり、つらくて ”自分が考えている方向性じゃない”と強く感じる
・混乱しつつも状況打破できず、現職復帰
できたことは妊活を急ぐこと。復帰後4ヶ月で妊娠
・第2子を1歳で保育園に入園
・1年働き退職
退職までにやったこと
転職サイトで相談 現職で在宅勤務ができる仕事はないか
在宅勤務でどんな仕事があるのか調べる
つらかった気持ち
前職はやりがいを感じられる好きな仕事。
それが、忙しさのあまり、楽しくなくなっていた。
始業と同時に、どうしたら16時ピッタリに終わらせるかを最優先に考えて行動した。
共働きの両親の元、祖母に育ててもらったわたしは、“子どもに寂しい思いをさせたくない”が最優先だった。
職場にはいろんな考え方の人がおり、幼い子どもがいても、もっと仕事をしたいと考える人もいる。
むしろ、忙しい職場なので、その考えの人が残っている。
そう割り切って仕事をしなくちゃ、と考えたこともあったが、無理だった。
土曜日の出社、玄関を閉めた後も”ママ行かないで”と1歳の子どもが泣いており、私も涙が止まらなかった。
ウェブデザイナーを目指した理由
夫に言われたから、ただそれだけ。
努力次第で在宅でも収入を得やすい職種として、魅力を感じた。
退職決断時の周りの反応
“前向きな転職”と大いに応援してくれた。
夫(大手企業エンジニア)
退職には反対の立場だった。
実母(特別支援学校教諭)・実母(管理栄養士)
『今しかできないこと。40歳になると、その気持ちは変わる』とアドバイス。
義姉(特別支援学校教諭)
転職の結末を教えてほしい。
妹(国家公務員)
続ける方が楽だと考える人、ここで成長したい人、将来的に辞めたいと考える人がいて反応は様々。
同じ境遇の母親たち
WEBデザイン総合コース(Winスクール)に入学
挫折するリスク回避を最優先にして、対面で質問ができる自宅に1番近いスクールを選択した。
私の通った学校には、3名の先生がいて、うち2名が面直で質疑応答をしてくれる。
1人がアメ、1人がムチのような先生だったが、2人に交互に教えてもらうと、やる気とプレッシャーのバランスを絶妙によく感じ、6ヶ月間の学校生活を続けられた。
WEBデザインで感じた難しさ、楽しさ
・Illustrator・Photoshop は、教科書通りに勉強したが、上達を実感できなかった。
13回の授業(90分/ 回)、予習復習、+1ヶ月間の試験勉強期間があったが、Illustrator(エキスパート)の試験に不合格だった。
Photoshopも13回の授業があった。試験は受けるのをやめた。
・HTML、CSSは、タグの意味や構造を理解することがおもしろかった。
WEBクリエーター能力認定試験(エキスパート)は合格した。
ウェブデザインの中で、自分の得意・不得意分野があると感じた。
独学の不安、課題
学校があったからこそ続けられたが、独学では気持ちが続かない可能性を感じた。
今まで教科書を丸暗記する方法で学んできたため、実際に自分がやりたいことに関して”調べ方”がわからず苦戦している。
就職イメージができない不安
技術は高まるものの、卒業してからの進路については連携している転職サイトに相談となる。
正社員採用の道筋は、ポートフォリオ作成授業内に内容があり、イメージしやすかった。
在宅ワーカーになるためには、ランサーズやクラウドワークスを使うことはわかったが、サイトを使って仕事をとることが高い壁だった。
私は、就職活動経験がほぼない。
大学4年生で他学部のみんなが就活をしている時に臨床実習をしており、8月に1ヶ所目に受けた病院で内定をもらっている。
しかも、大学の決まりなのか、医療業界の決まりなのかはわからないが、重複してエントリーをしてはいけないことになっており、エントリーシートも1ヶ所にしか出したことがない。